団塊おばさんの外に出て自然と遊ぼう!!

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おんな城主直虎 ”龍潭寺”〜”井伊谷宮”〜”井伊谷城跡” 行きました! 22:04

帰省の折

NHK日曜夜の大河ドラマ”おんな城主直虎”の主人公、井伊直虎の菩提寺で

ドラマに頻繁に登場する龍潭寺へ行ってきました。

 

「行ってきました。」とは言っても

実はこの近くを流れる都田川には以前からよく釣りにきていたので、

ちょっと立ち寄った!という感じです。

 

しかし、恥ずかしながら、

テレビでドラマが始まるまでは、龍潭寺の存在も井伊家の由来も全く知りませんでした。

 

 

龍潭寺の歴史は古く、

なんと奈良時代に行基によって開創され、平安時代から井伊家の菩提寺とされているそうです。

 

 

下は外から見た龍潭寺と庭

下は龍潭寺の中から見た庭園

 

寺内に入るとすぐにご本尊の釈迦牟尼仏が鎮座していました。

仏像の胸の辺りにある傷は明治初年に起きた廃仏棄釈の混乱時に付けられたものです。

 

御本尊と並んで後醍醐天皇の王子宗良親王のご位牌も祀られていました。

ということは井伊家直虎の時代より200年以上も前の南北朝時代の頃から

歴史上重要な役割を果たしていたということです。

 

本堂の裏には ”小堀遠州”作の国指定名勝庭園があります。 

寺の縁側に座ってしばし案内放送を聞きながら 石が表現する禅寺の庭を鑑賞しました。

 

庭の景色に奥行きと雄大さを与えるために

右手前は石が密に配置され左に行くに従ってまばらに置かれているそうです。

 

本堂を出て裏のほうに歩いていくと

井伊家の墓地があり、その中に直虎や直親、直政の墓もありました。

直虎と直親は隣りあって眠っています。

 

 

 

更にその先には、後醍醐天皇の皇子 宗良(むねなが)親王のお墓があり

中には入れませんが、外から見ると小高い丘になっていました。

 

 

 

 

 

宗良親王を祀っている井伊谷宮

 

 

 

 

南北朝混乱の中、後醍醐天皇の皇子ゆえに

思惑で担がれては時代に翻弄された無念さがうかがえます。

 

 

 

龍潭寺を出て、井伊谷城跡へ

 

 

 

井伊谷を一望できる丘陵に築かれた井伊氏の城跡で今は城山公園になっています。

 

 

 

 

井伊家の菩提寺である龍潭寺から井伊谷を巡るルートを歩いてみると

直虎が生きていた時代が少しだけよみがえる思いがしました。

| 史跡 | comments(0) | - | posted by イロハモミジ
三保の松原 羽衣の松 20:10

 

”三保の松原”は静岡市清水区(旧清水市)に位置する三保半島沿いにあります。

 

三保半島は 

安倍川から流れ出した砂礫などが 海流によって東に打ち寄せられて形成された長い「砂嘴」で

私の歩いている松原は数キロも続きその先に有名な「羽衣の松」があります。



長い松並木を歩き終え砂山を越えたところに「羽衣の松」があります。






海岸に近づくにつれ湾曲した枝ぶりの松が現れそれらしい雰囲気になってきました。



いずれ劣らぬ立派な松の林の中に柵に囲まれた松を見つけました。

私の右上の枝なぞ如何にも天女が羽衣を掛けたくなるような枝ぶりですね。

これこそが三保の松原”羽衣の松”でしたが、

初代”羽衣の松”から数えて三代目であるとの但書きが付いていました。






こちらは二代目「羽衣の松」だそうです。

枯れて根元のみが残っていました。



羽衣の松の前に砂浜が広がり

沖を清水港に向かう巨大なコンテナ船が航行していました。

 

 

天気が良ければこの海岸からこのような素晴らしい景色が見られるそうです。


私は学生の頃、静岡市に住んでいたこともあるのに三保の松原を訪れるのは初めてでした。

主人は60年くらい前(小学生の頃)一度、

叔父叔母従弟たちに連れてきてもらったことがあり、

その時、天気が良くてこの風景が見られたそうです。

| 史跡 | comments(0) | - | posted by イロハモミジ
目の前に松蔭神社が現れた。  14:33

連休前の4月26日、都内に所用があり、
降り立った駅が 東急世田谷線「松陰神社前」駅でした。

そう名の付いている以上、松陰神社も近いはずと思い
用事を済ませた後、神社を訪ねてみることにしました。



ここが東京都区内とは思えないほど
のどかな風景の中を走る東急世田谷線。

松陰神社は、駅から歩いて3,4分のところにありました。


大きな幟が二つ立っているのが遠くからも見えました。



吉田松陰は
幕府の刑場”小塚原回向院”に罪人として埋葬されていましたが、
高杉晋作らは、白昼堂々と松陰先生の亡骸を掘り出し、
幕府の要人しか通行を許されていない道を役人を威嚇しながら通り、
この地に先生のご遺体を改葬したといわれています。

高杉晋作は、久坂玄瑞と共に松陰門下生の双璧と言われた人物で、
後年、伊藤博文が高杉晋作のことを

「一たび動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し。
周りの者は、ただただ驚き呆然とするばかりで
敢えて正視するものすら居ない。」

と言っています。

高杉晋作は、
その前年にも久坂玄瑞らと共にイギリス公使館焼打ちを敢行し、
その後の幕府による長州征伐の際には、
自ら組織した奇兵隊を率いて幕府軍に夜襲を仕掛け敗走させています。

まさに松陰先生の遺志を継いだ門下生です。

4才も年上の坂本龍馬に 上海土産として
拳銃とブーツをプレゼントしたことでもよく知られている高杉晋作は
倒幕の原動力となったにもかかわらず維新を目前にして
結核の為28才の生涯を終えました。



明治になり、
門下生の多くが政府の要職につくようになって、
松陰先生の御霊を祭るため御墓所に隣接する場所に
松陰神社が創建されました。


鳥居をくぐって先に進むと




八重桜のトンネル!
石畳はきれいに掃き清められていました。



静寂な境内に松陰先生の像が立っていました。
(主人に写真を見せたら恐れ多い!としかられてしまった。)







社殿の右側に回ってみると



再現された松下村塾がありました。




扉は閉ざされ、中を見学することは出来ませんでしたが
外から見ているだけでも 学び舎の厳しさと熱気が感じられました。




社殿まで戻り左奥の方向に行くと



小さめな鳥居があり、その向こうに案内板があります。



矢印に沿って更に進むと



もう一つの鳥居の奥に松陰先生のお墓が見えました。




楓や桜の若葉がそよ風に揺れる下にひっそりと佇む松陰先生の墓標。
それでもしばらくすると
一人、また一人と 途切れることもなくこの地を訪ねる人々がいます。

手入れの行き届いた木々は、夏は木陰になって涼しさを
冬は落葉して暖かい陽だまりをもたらしてくれそうです。








先生の周りには、先生の門下生で尊王倒幕の道半ばで
故郷を遠く離れた東国の地で亡くなった方たちも眠っています。



さほど広いところではないのですが、
居心地がよくて、ゆっくりしすぎてしまい
少々慌てて戻り始めると



掲示板に月変わりの松陰先生のお言葉が掲げられていました。

松陰神社という名前に引かれ軽い気持ちで寄り道をしてみたのですが、
明治維新を成し遂げた人々の
強く真っ直ぐな思いの一端に触れることが出来、
帰り道はとてもさわやかな気分になりました!

吉田松陰(1830〜1859) 
 
 < 辞世の句 >

         身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも
           留め置かまし  大和魂
| 史跡 | comments(0) | - | posted by イロハモミジ
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